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月風呂





 新月の日にハマムに行くという自分だけの習慣がある。自分自身へのねぎらいの意味も多分に含めた、約1ヶ月に1度の小さな儀式。


 モロッコに来て以来、月は以前にも増して身近な存在になった。

 イスラムの暦は月の暦。文字通り、夜空に新月が現れた日から月が新しくなる。そのため、月の満ち欠けはイスラムの人々の宗教的な関心事として生活の中に根付いている。必然的に、ごくごく当然のこととして。






 最初に暮らしたのは小さな漁師町だった。仕事で関わり、時には寝食を共にしていた女性たちはラグーンでのアサリ漁が生業。潮の満ち干は彼女たちの日常のリズムの中に溶け込んでいた。新月と満月の日が大潮であることは、この町では誰もが知っている。理屈というよりは肌感覚で。









 月を意識していると、体調と照らし合わせた時に気づくことが色々ある。例えば脚のむくみが特に気になる日は、だいたい満月前後のことだったり。潮汐が月の引力で起こることなのだから体内の水分にも影響が出るのだろうこと、そして大潮に当たる日は特に作用が強いだろうことは想像に容易いし、納得もいく。


 食事やその日の行動にも大きく左右されるだろうとは言え、月のうつろいとバイオリズムを関連づけることで「自分」という存在の小さな神秘に気づき感嘆する。


 満月の日のむくみとは逆に、体内の毒素や老廃物を排出するのに最適な日は新月に近い日なのだそうだ。と、付け焼刃な科学的根拠は単に後付けの理由に過ぎないけれども、月に1度決まった愉しみがあるというのは何だか特別なようで気に入っている。






 ハマムとは、元来は「公衆」の蒸し風呂。多くのモロッコ人にとっては週に一度の習慣であり身だしなみ。一方、わたしはと言うと、心身双方のリラックスとデトックスという譲れない目的があるので、人々の好奇の目に晒されてくつろぐどころではないローカルのハマムは遠慮し、外国人向けのハマムを行きつけにしている。


 観光客向けの施設では個室をあてがわれるため、この国の伝統美容をふんだんに享受しつつもプライベートな理想とわがままを叶えることができる。モロッコには自然の恵みを最大限に活用した美容法が豊富で、敏感肌の身にとっては非常にありがたい。







 ハマムでの愉しみのひとつはガスールと呼ばれる天然のクレイ。アラビア語の「洗う غسل」の派生語であることからして、先人たちは洗浄力にもっとも着目したのだろうか。


 まずはもくもくと沸き立つスチームで身体をじっくりと温め、次にオリーヴからできたサボン・ベルディと呼ばれる練りせっけんを全身に塗り、毛穴や皮膚の表面に堆積している老廃物を浮かせる。しばしの後、ピーリングのためのコンディションが十分に整ったところでゴマージュ(垢すり)をしてもらう。


 外国人向けハマムとは言え、垢すりの前後にはバケツでざぶざぶと水を浴びせられるのにはローカルの片鱗があって、これもまたいとをかし。


 ゴマージュの後は、いよいよガスールで全身と顔、好みによっては髪をパック。ガスールはその名に込められた洗浄作用はもちろんのこと、保湿力の効果も実感の度合いが高い。


 古い角質も、落とし損ねていた汚れもマシャキル(問題の山;مشاكل)も。泥と一緒にさっぱり洗い流されていくようで、帰る時には文字通りに一皮向けて心身ともにすっかり軽やかになっている。







 ガスールは普段の手入れにも欠かせない。


 自宅ではパウダー状に加工されたものを選んで、花弁やつぼみの蒸留水(とりわけローズ・ウォーター)で溶いて使う。時には卵の黄身も混ぜてみたりして。炎症の鎮静効果もあるのだというミネラルたっぷりのクレイが、日焼けで荒れかけた肌をいたわってくれる。スークでの仕事や行楽の後。真夏の陽に晒された日の、1日の終わりのとっておき。









 マラケシュのスークの中にスーク・ガスールという名の一角がある。かご業者や木工職人が集まる場所で、美容の類とは無縁そうなエリア。









 昔はこの辺りに公共の水汲み場(噴水)があって、人々がお祈り前のお清めをしていたのだろうか。それともハマムがあったのかしら。今とはずいぶん異なっていたであろう、いにしえの光景を想像してみる。


 真偽のほどはわからない。とは言え、昔むかしのスークにも、月のリズムで生活する人々が行き交っていたということだけは確かにイメージすることができる。







🌚Les bains de Marrakech🌚

  Derb Sedra, Bab Agnaou, Kasbah,

40000 Marrakech

  Maroc




✴︎このエッセイは、ガッスールジャパン・ジャミーラ様の「モロッコ便り」のために書いたものです。

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